沿 革
昭和02年03月 | 東京都江東区に当社前身、東 鍍金合資会社を創立 亜鉛鉄板の製造販売を開始 |
昭和12年11月 | 工場を足立区千住に移転、東 鋼業株式会社に改組改称 |
昭和33~34年 | 富士製鐵株式会社(現新日本製鐵株式会社)とコルゲートパイプおよびガードレールの委託加工に関する契約を締結 |
昭和35年08月 | 富士製鐵株式会社(現新日本製鐵株式会社)が資本参加 |
昭和37年08月 | 千住工場に連続亜鉛めっきライン完成 |
昭和37年11月 | 草加工場竣工 |
昭和38年09月 | 千住工場にカラーコーティング第一ライン完成、着色亜鉛鉄板の製造販売を開始 |
昭和42年06月 | 千住工場にカラーコーティング第二ライン完成 |
昭和43年04月 | 創始者代表取締役 鵜川澤太郎に勲四等瑞宝章授与さる |
昭和44年08月 | 草加工場にスパイラスコルゲートパイプ製造設備輸入設置 |
昭和45年03月 | 富士製鐵株式会社と八幡製鐵株式会社の合併により、新日本製鐵株式会社が誕生、資本及び委託加工契約はそのまま同社に移行 |
昭和48年07月 | 日鐵建材株式会社の発足によりコルゲートパイプ、ライナープレート、ガードレールなどの委託加工契約を同社に移行 |
昭和51年08月 | 資本金1億円に増資 |
昭和52年06月 | 故鵜川澤太郎に従五位追賜さる |
昭和55年06月 | 日鐵建材工業株式会社が資本参加 |
昭和57年01月 | 千住工場に熱せきすずめっきラインを設置し、製造販売を開始 |
昭和57年04月 | 草加工場ライナープレート製造ラインに溶接ロボット導入 |
昭和61年04月 | 本社および千住工場を東京都足立区より埼玉県八潮市草加工場へ移転集約 亜鉛鉄板製造ライン、着色亜鉛鉄板製造ラインをそれぞれ合理化し、連続一貫ラインとして近代化 |
昭和62年11月 | 代表取締役会長に鵜川 渉が就任 |
昭和63年06月 | 溶融亜鉛めっき加工技術に関し日本工業規格表示工場の通商産業大臣許可を取得 |
平成元年02月 | 大型溶融亜鉛めっき改造設備(9m 釜)完成 |
平成03年01月 | ライナープレートCライン用溶接ロボット稼働 |
平成06年07月 | ガードレール塗装ラインを溶剤より粉体塗装に改装 |
平成10年11月 | 代表取締役社長に鵜川 温が就任 |
平成18年12月 | 日鐵住金建材株式会社の誕生により、委託加工契約はそのまま同社に移行 |
平成24年03月 | 土木事業部門より撤退 |
平成24年04月 | 表面処理鋼板事業に特化し、製造部門を東和鋼業株式会社に移管 |
平成27年05月 | 八潮物流施設稼働開始 |